無の探求

通称「なす」 無色で無職な無敵なフリーライター。まだ誰にも染められてません。今ならあなた色に染めるチャンス。2017年7月18日ブログ開設。

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ゲームは「達成感を得る」ものではなく「射幸心を煽る」ものになった

圧倒的なビジュアル、爽快感のあるアクション、重厚なストーリー。ゲームの魅力は様々ですが、今一度ゲーマーの皆さんに問いたいことがあります。

ゲームの楽しさとは一体なんでしょうか?

私は「達成感」だと思うんです。難しいステージをクリアできた時、自己記録を更新できた時、対戦で勝利できた時。そんな瞬間に私は楽しさを感じます。しかし現在のゲームはどうでしょうか。どれも終わりの見えない周回プレイの末に「達成感」らしきものがあらかじめ「用意」されていませんか?今回は最近のゲームに対して私が感じる違和感をぶちまけようと思います。

 

 

レアドロップという概念

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レアドロップとは素材アイテムや装備品などが特定のエネミーやクエスト報酬から低確率で入手できるという仕組みです。この確率はゲームやそのアイテムによって完全に違ってくるので一概には言えませんが、最低でも数十回の周回プレイを求められるのが一般的でしょう。

しかし、特定のアイテムを狙った周回プレイはその過程において大抵の場合つまらないものです。特に「レア掘りゲー」として有名なPSOシリーズでは「ドロップ率0.0001%」くらいの狂った確率の装備品が多々あるため、これを入手するのは数ヶ月~年単位の途方もない周回プレイが要求されます。それは最早執念であり、ゲームとは一体なんなのだろうかと考えさせられます。

達成感と射幸心の混同

上記のPSOシリーズを例にすると、数万人のプレイヤーの中でたった数人しか持っていないような超激レア装備に対してあなたはどういった感情を抱きますか?当然手に入れたいですよね?自慢したいですよね?

手に入ったら、当然喜びますよね?しかもそれが苦痛を伴う数ヶ月の周回プレイの末だったら、さながら合格通知を見て受験勉強から解放された高校3年生にも似た心境でしょう。

つまり、達成感と同時に「解放感」も押し寄せてくるのです。なぜ楽しんでいたはずのゲームで苦痛を味わってまでレアドロップを追い求めるのか。それは達成感を得たいからではなく、射幸心を煽られた末の執念でしかないのです。

自己顕示欲を満たすレアドロップ

ソロゲーにおけるレアドロップとネトゲなどのマルチゲーにおけるレアドロップでは、求められるものが少々異なってきます。

前者は「純粋に強くなりたい」という欲求のためですが、後者は自己顕示欲を満たすための手段です。数人しか持っていない最強武器を持つことで、その人はゲーム内で特別な存在になります。そして、ほとんどのプレイヤーがそうなりたがっているのです。

その欲求は凄まじいものがあり、PSOシリーズでは超激レア装備を担いでロビーを歩いているだけで悪質なプレイヤーの嫉妬から2chに晒される事件も多々ありました。

「ダークソウル」シリーズで見るゲームの本質的な楽しさ

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ゲームが大衆に迎合した結果、あらゆる面で歯ごたえのないゲームが非常に多くなりました。また、プレイヤー同士の対戦や協力プレイが充実してきた弊害としてゲーム内でもコミュニケーションが必須化されるようになってきています。しかし、ネトゲでもないのに過剰なコミュニケーションを求められるのはなかなかに鬱陶しいものがあります。

そしてコアゲーマーをうならせるゲームがなかなか登場しなかった中、満を持して登場したのが「ダークソウル」シリーズです。

「ダークソウル」シリーズが生粋のゲーマーに支持される3つの理由

計算された高難易度

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最初は死にまくりでも、何度も挑んで各エネミーの予備動作を見極めていくことで次第に勝てるようになるという「トライ&エラー」のゲームバランスが絶妙でした。それこそ正に純粋な「達成感」であり、生粋のゲーマーたちから高く評価される理由です。

ダークソウルを真似たタイトルはその後にいくつか生まれてきましたが、どれも「高難易度」を履き違えたものばかりでとても褒められたものではありませんでした。「仁王」はそれなりにヒットした方ですが、進めていくうちに「ただ装備を作るだけのゲーム」になります。敵の挙動も予備動作がほとんどない理不尽なものが多く、やはり高難易度を売りにした達成感を味わえるゲームではありません。

一期一会のゆるい繋がり

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主にチャット機能が原因となっている煩わしいコミュニケーションを排除し、プレイヤー間のやりとりは十数個の「ジェスチャー」機能でのみ行います。召喚したプレイヤーに「一礼」で挨拶し、敵を倒したら「歓喜」する。時には敵対プレイヤーを協力して倒したりアイテムを譲り合ったりもしますが、そこに「言葉」のやり取りはありません。話さないからこその一体感がそこにあり、そのプレイヤーとはその場限りのゆるい繋がりです。言葉ではなく背中で語る、それがこのゲームの醍醐味でもあるのです。

本当のロールプレイ

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どんな武器やスタイルでも、腕次第で攻略可能になるゲームバランスがとても評価されています。全身に甲冑を着こんで剣と盾のみで戦う騎士スタイルであったり、腰布一枚と棍棒だけで蛮族プレイをしたり、ドレスに仮面とムチで変態仮面ごっこをしたりなどなんでもできる自由度の高さも魅力です。

自分がどんなスタイルで進めていくかを自分で選んでプレイするのが真のロールプレイだと私は思っています。RPGとして有名なドラクエやFFのように、あらかじめ用意されたキャラクターで用意された展開をなぞっていくだけのものはロールプレイではなく「レールプレイ」です。

和ゲーと洋ゲーの違い

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オープンワールドのように、素材だけ提供して「さあ、これで自由に遊べ」というスタイルが主流なのが洋ゲーです。それに対し和ゲーは「このキャラでこう進んでこう遊んでね」と最初から最後まで遊び方を誘導されるものが主流になっています。

これに対し海外では「日本人は遊び方まで指示されないと遊べないの?」とバカにされる始末です。しかし実際のところその通りなようで、日本人が「スカイリム」のような非常に自由度の高いオープンワールドをプレイすると、レールプレイしかしていない大半のプレイヤーが「何をすればいいかわからない」とワケのわからないことを言い始めます。

中途半端な日本製オープンワールド

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オープンワールドの魅力はその自由度にあります。しかし、日本のメーカーはなぜオープワールドが人気なのかを履き違えている節があり、ただ流行ってるからマネているだけのように感じます。

その際たる例が悪名高い「FF15」なのです。

FF15で見る日本製オープンワールドのNG要素

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オープンワールドとしては以下のようなNG要素があります。

  1. 道路しか走れない車(アップデートで道路以外も走れるようにはなったが、あまりにも実装が遅すぎた)
  2. サイドクエストの9割がただのモンスター討伐
  3. 狭い上に代わり映えのしない自然フィールド
  4. ファストトラベルの不自由さ(異常に長いロード時間や拠点の少なさ)
  5. 大きな町(小さいが)が実質1つしかなく、他は全部ガソリンスタンド

もともとレールプレイングの代表であるFFはオープンワールドとの相性が非常に悪いのです。自由度を優先すればストーリーが味気なくなり、ストーリーを優先すれば自由度が損なわれます。ストーリーも自由度も高評価な「Witcher3」を見る限りではそれらを上手く融合される手段はいくらでもあったはずでしたが、オープンワールドに慣れていないライトプレイヤーまで視野に入れなければならなかったことも災いしたのでしょう。とにかく、FF15はあらゆる面で中途半端だったのです。

発売前の広告があまりにも自信満々だったことは最早皮肉でしかなく、今では炎上と嘲笑のネタにされることでしか話題にならない悲しい超大作となりました。

ゲームのやり込み要素は「開発に用意される」ものに

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前述のオープンワールドの下りでもあるように、最近の日本人プレイヤーは「開発が遊び方を用意しないとまともに遊べない」傾向があります。その結果として開発の想定した範囲でしか面白くならないゲームが量産され、コアゲーマーが納得するゲームは激減してしまったわけです。そしてゲームとしての楽しさは段々とズレた方向へシフトしていきます。

用意された「やりこみ要素」

かつてのやり込み要素は、「一通り普通にゲームをクリアした後に独自の縛りや目標を設定してプレイすること」を指しました。それは正に自己満足の境地であり、本当の意味での「やり込み」でした。しかし、現在のやり込み要素はその名残を無くしつつあります。

開発側はプレイヤーの遊び方を細かく指定し、それを「ミッション」として用意しました。それ自体は一概に悪いとはいえませんが、大量にミッションをやり終えた後にあなたは何を思いますか?おそらく「達成感」を味わった後に「満足感」も同時にやって来ると思います。つまり、それ以上のプレイ体験を自ら欲しなくなるのです。

「報酬」ありきの「やりこみ要素」

例えば「~秒以内にゴールせよ」や「~秒間生き残れ」みたいなミッション形式のものです。今ではどのゲームでもこのような形式のミッションはいくらでもありますが、問題はそれらに「報酬」が設定されていることです。

私はこれらが「やり込み要素」として用意されていることに違和感を覚えます。恐らくその用意された報酬を手に入れたら、大半の人はそのミッションにはもう二度と手をつけないと思います。つまり、自己満足のためではなく「報酬」のためにプレイしているわけです。

そもそもやり込み要素を用意すること自体がオカシイと思います。それはプレイヤー側が勝手にやることであって、開発側で押し付けるものではありません。日本製のオープンワールドに自由度がほとんどないのも、おそらく開発側のこういった「余計なお世話」が邪魔をしているのではないでしょうか。

「実績システム」で自己顕示欲を拗らせるゲーマーたち

これはPS3やXbox360などの世代から普及したシステムで、ゲーム内で特定の条件を満たすと「トロフィー入手」や「実績解除」としてアカウント情報に登録されるものです。これはゲーマーとしての熱意の指標のようなもので、多ければ多いほど色々なゲームをしっかりとプレイしている証になります。つまり、ゲーマーのステータス的要素です。

そして、やはりこれも自己顕示欲の対象となるのは必然でした。一部のゲーマーはゲームを楽しむことよりもトロフィーを集めることに躍起になり、それを誇示することを自身のステータスとしたのです。大半の人は実績システムを「ただのおまけ」として捉えていますが、ゲームはプレイヤーの自己顕示欲によって着実にその在り方を変えてきているのです。

まとめ

いつしかゲームは楽しむものではなく、他者より優れていることを証明するためのツールになりつつあります。ソシャゲは課金力で他プレイヤーを圧倒することで優越感を得ようとし、ネトゲでは超激レア装備を求めて苦痛を伴いながらも周回プレイを続けるのです。

それらは果たして本当に「ゲーム」なんでしょうか?本当に楽しんでいますか?

私もネトゲ廃人だった時代がありますが、引退した今思うのは「辞めれてよかった」という非常に強い思いです。もちろん楽しい思い出もありましたが、それはほとんとゲーム開始から間もない新人時代の思い出でした。しばらくすると、不思議と楽しむよりも「ステータス」を求めるようになるのです。それらの根底にあるのはどれも浅ましい自己顕示欲であり、現実世界で抑圧されている人ほどその色は強く濃くなります。

中国や韓国でネトゲ廃人の増加が社会問題になっていますし、ゲームは最早ただの娯楽ではなくなりました。ゲームに「射幸心を煽る」という要素がある限り、それは「人間の本質を映し出す鏡」なのです。