無の探求

通称「なす」 無色で無職な無敵なフリーライター。まだ誰にも染められてません。今ならあなた色に染めるチャンス。2017年7月18日ブログ開設。

MENU

著名人の不倫のニュースばかりで「日本は平和で愚かだなぁ」と常々思う

どうも、なすです。

2ヶ月近くブログやってるのに言及系の記事は一切書いてないことに気付いたので今回は普通の日記っぽいのを書くことにしました。見出しとタイトル構成してからじゃないと記事書き始めないのはWebライターの性なんでしょうかね。

それで本題なんですが、実際のところ大半の人は著名人の不倫なんてどうでもいいと思ってるんじゃないでしょうか。別にベッキーが不倫しようが私の生活には1ミリも影響与えないですし、それで困る人なんて所属事務所やCM契約会社みたいな直接取引してるところだけのはずですよね。

まあ攻撃側はファンを裏切っただのなんだのと方便を垂れることはできますが、私に言わせれば「ソイツの本性を見抜けなかったアンタも底が知れるよね」といった感じです。前に総選挙で結婚宣言して炎上した須藤凜々花に怒ってた人にも同じことが言えます。「処女宣言してたのにウソだった」とか「投資した分を返せ」とか、よくそんな見苦しいことを堂々と言えるなぁと。

投資という言葉を使うのなら、自分の思う結果にならないことが起こることも想定した上じゃないと話にならないです。誰に強要されたでもなく、自分の意志で応援なり貢ぐなりした結果が「自分の思う結果にならなかった」だけの話ですよ。まあ結果的に騙してた事実は変わりないですから、そこは擁護できないですけどね。

こういった問題は「バカにSNSを与えた」ことの弊害だと私は思ってます。もともと世の中の構造として頭の悪い人には発言権なんてなかったんですよ。でも今は誰でもスマホを持ち、誰でも全世界に何でも発言できてしまう世の中です。

誰かがちょっと目立ったことをすれば正義ヅラしてちっぽけな悪を成敗し、デスノートのキラまがいのことをしたがる。自分は法で裁けない悪に裁きを与えてるんだと悦に浸る。そんなことでしか自己を表現できない人達がこんなにもたくさん身近にいたんですよ。彼ら彼女らはいつだって「主役」でいたいんです。自分が世の中を動かしていると思いたいんです。その正義感も所詮は「皆叩いてるから私も叩いてもいいはずだ」という思いからくる集団心理からくる「借り物」に過ぎません。

このように、今まで社会の底辺でくすぶっていた自己顕示欲が一斉に世に放たれた結果が今の息苦しい社会の正体ではないでしょうか。教育でも仕事でも「出る杭を叩く」という考え方は古くから日本の悪しき文化だと言われてきましたが、じゃあ叩いているのは一体誰なんでしょうかねってことです。

無論、犯罪行為なんかは叩かれてしかるべきですし大衆に広く議論されるべき問題です。しかし、自分に関係ない不倫のニュースなんて「へーそんなことあったんだー」で放っておけばいいんですよ。

週刊誌の記者がどんどん調子に乗るのもきっと同じ心理のはずです。最近のようにバカな人間たちが連日騒ぎ立てるからこそ、週刊誌サイドは自分たちが世論を作っている、世論を作るのは自分たちであるべきだと思い上がるのです。

2ch創設者でお馴染みのひろゆきは常々「頭の悪い人にはインターネットをさせないべき」と言っていますが、頭の悪い人(まあ人が1人死んでる上原多香子レベルのやつは除外するけど)達とは正に「他人のしょうもない不倫ネタで騒ぐ人間たち」だと私は思っています。

「このハゲェェエ!」の豊田真由子とか、育休中の妻を放って不倫した宮崎謙介とか、最後まで往生際の悪かった舛添要一とか、なんか最近は議員がワイドショーのおもちゃになってる感が強いことにも違和感を覚えます。彼らを擁護するわけではありませんが、「この人なら叩いてもいい」という前提から始まっている気がするんです。最近は「誰かを社会的に抹殺しようとする動き」に対して、社会全体が驚くほど寛容になっています。

「自己責任」という言葉の重みが増してきたのも最近でしょうか。大人はもちろん、子供でさえ一定のリテラシーが求められる時代です。マナーやモラルもそうですが、テクノロジーの発達によって私たち自身に求められるものが増えてきています。高度なものは扱う者にもそれ相応の力が求められるのです。

技術の発達速度と人間の進化速度で見れば、最近はどう見ても人間側が遅れをとっています。この不整合な世の中を正すには、技術と人間の調和を今一度見直すことが必要なのかもしれません。