無の探求

ひねくれすぎて社会に馴染めなかったぼっちフリーランス(Webライター)の根暗ブログです。記事テーマはゲーム、ライター関連、ネットの話題など色々。2017年7月18日ブログ開設。

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独善的な身勝手教師が生み出す「給食ハラスメント」

先日こんな記事を見かけました。

blogos.com

教師たちがいわゆる「食べ残し」に対して厳しくすることで、生徒たちが精神的にダメージを受けることを指す言葉のようです。かく言う自分も子供の頃は好き嫌いが非常に多く、野菜類がほとんど食べられなかったので担任にはそれはもう酷い仕打ちを受けたものです。なのでこの気持ちはすごくわかります。

今回はこの「給食ハラスメント」について自分なりに思ったことをまとめてみました。

 

 

今も昔もやってることは同じ

上の記事を読んでみた真っ先に思った感想は、「私たちの時代では当たり前のように行われ、世間も騒がなかった」ということです。もちろんその行為を正当化しているわけではありません。当たり前のように行われていたからといって、それが受け入れられるものであるかどうかはまた別の問題です。

私は現在20代後半なので、小中学校の時代は15年ほど前ということになります。一応は平成生まれですし、いうほど大昔というわけでもないんですよね。でも当時は教師の権限が強く、世間の親も教師を信頼している節がありました。体罰をはじめとした問題行為も黙認されており、「教師は頭のおかしい人間が多い」というレッテルも今ほどは浸透していませんでした。

今は教師以上に保護者と子供の権利が強くなっています。かつては子供が学校での出来事を親に訴えても「アンタが悪い」と一蹴されるのが通例でしたが、今はSNSで声を上げるだけで気軽に世間を味方につけることができます。今と昔の違いはそれだけなのです。もちろん、教師の質に関してもコレといって良くなっているわけでもありません。

給食の質はそれなりに向上している

食べられない原因は基本的に「好き嫌い」だと思いますが、単純に「マズい」から食べたくないという声も一定数ありますよね。まあ肉類や揚げ物類は極端に制限されていて味気ないですし、黒コッペパン(今はあるのか知らないが)とかも美味しく食べる人はかなり少数派だと思います。レシピが一昔前のまま停滞している学校なんかはこのへんの事情がわりと深刻なのかなとも思います。

でも私が小学校の時代なんて、まず食器からして酷かったんですよね。今は陶器が当たり前かと思いますが、当時は銀のプレートだったんですよ。

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上の画像みたいな感じのやつです。正直ペットの犬猫でさえもっとマシなお皿だと思いますよ。カレー店とかで銀皿だったら逆に本格的っぽいかもしれませんが、給食の銀皿なんて何年も使いまわされた傷だらけでペラペラの板金です。まあ陶器みたいに割れることもないですし、片付けが便利なのは利点ではありますよ。でもこれに質素な給食メニューを盛られても美味しそうに見えることなんてまずないんですよね。

また、メニューで見ても今は地方の特産品を生かしたご当地品が決まった時期に振舞われることがあるようです。

matome.naver.jp

私の時代は「わかめご飯」と「揚げパン」が唯一の救世主みたいな扱いでした。ご飯が美味しいといわれている北海道ですけど、別に特産品メニューとか一切なかったです。銀皿の影響もあって、配膳当番が雑な仕事をするとマジで家畜のエサみたいな給食になってましたし、今の子供が羨ましいですよ。

「給食」に求める教育の姿

まず給食とはどういうものなのかを冷静に考えてみてほしいんですが、あれって給食費を払って購入しているんですよね。金払って買った飯なのだから他人にとやかく言われるのはオカシイって意見も当然出て来ます。

でも担任が横暴な人だと、「好き嫌いで残すようなヤツにはプリンは出さない」とか平気でやるんですよ。実際に私もやられましたし、人気のある「から揚げ」とか「魚フライ」なんかも私の分だけ取り分けられなかったりしました。しかも配膳当番の生徒にわざわざ口添えして行ってますから、卑劣極まりない行為です。上の記事でも話題になってる「居残り飯」なんかも常態化してましたし、昼休み時間に残されてる生徒は私以外にも結構いました。こういったものは教育とは程遠い行為なのは間違いないです。

では「給食における教育」とは一体どんなものが理想なのかって話ですよね。「残さず食べる」というのはまあ基本ですが、それを強制しようとすると必ず虐待じみた行為につながります。実際のところ、そんなことをされても好き嫌いはまず治りません。

作ってくれた人への感謝を忘れるな

給食に限らず、「食育」というテーマにおいて絶対にでてくる常套句ですよね。「残すのは失礼だからちゃんと食え」というフレーズの建前として使われます。

でも私は常々この決まり文句に疑問を持ってました。

まず、このフレーズを言っていいのは「作った本人」だけなのではないかという点です。給食に関して言えば、熱気でむんむんの配膳室でせっせと大量の飯を用意してくれたおばさんたちになります。

でも実際はどうでしょうか。どんな環境でご飯を用意したのかも知らないような教師たちが我が物顔で「失礼だから残すな」なんてほざきます。もしかしたらマトモに料理すらしたことのない教師だっているかもしれません。そんな人に食のありがたみを説かれたくないですよね。

それにね、ちょっと考えてみてくださいよ。

給食を食べ残した生徒を居残りさせてる光景を、作った本人に見せられますか?そうまでして食べさせることが作った人への礼儀だと言えますか?

生徒からしても給食のおばさんからしても、完全に余計なお世話なんですよ。むしろ給食のおばさんに対して逆に失礼なんじゃないかと思います。教師が勝手に居残りさせることによって、自分の作った料理でイヤな思いをする生徒が増えるんですよ。そうまでして食べてほしいと思いますかね?絶対思わないですよ。しかも、居残りさせることによって配膳室では後片付けの手間が増えます。

おそらく、こういったことをする教師は自分の料理を誰かに振舞ったことのない我侭な人間なのでしょう。料理を振舞った経験があれば、他人の作った料理を無理して食べさせるなんてことは普通はしません。ましてや他人の子供に対してそこまで横暴なことがなぜできますか。家で妻が作った料理を息子に食べさせるならいざ知らず、会ったこともない給食のおばさんの苦労を教師がなぜ我が物顔で語れるのでしょうか。

 

そして2つ目の疑問は、「このセリフをレストランでも言えるのか?」という点です。

おそらく大多数の人が出された料理を残すことに対して抵抗がありませんよね(インスタ映えのために大量注文して全部残すとかは論外だが)。単純に口に合わなければ残すでしょうし、嫌いな付け合せが乗っかっていたりすればそれも残すかと思います。

「料理を作ってくれた」という点において、給食とレストランに何の差異もありません。また、彼ら彼女らが給料を貰って料理をするという点でも同じです。こちらが料理に対して金を払っているという点も同じです。

なぜ給食のおばさんにだけ敬意を払わねばならないのでしょう。レストランの調理担当には敬意を払う必要はないのでしょうか。また、教師たちは自身の言葉に責任を持った行動を常日頃からしているのでしょうか。例えば自動車学校の講師も普段は法定速度なんて絶対に守ってないですし、教師だって教育の場を離れれば普通にレストランで料理を残しているはずです。こういったわかりきった「建前」で子供たちを苦しめることに何の意味があるのでしょうか。

本当の食育は料理の経験から生まれる

食べ物や料理のありがたみは、実際に料理や買い物をしないと絶対に学べません。しかし、学校教育ではそういった過程をすっとばしてありがたみを教えようとします。

仮に嫌いな食材であっても、自分で料理をすれば「もったいないので少しだけ食べてみる」という選択肢が不思議と生まれてくるものです。そういった経験こそ食育において最も大事なのではないでしょうか。ただ出された給食からは「作る大変さ」なんて学べませんし、そんなものを無理やり食べさせられても給食と担任が嫌いになるだけです。

特に年配の男性教師ほど自身で料理をした経験がないかと思いますが、上の記事でも問題になった教師は50代でした(今回のは女性教師らしい)。

しかし、料理の経験が必ずしも食育に繋がるとも言い切れないのがこういった50代の厄介なところです。仮にこの50代教師が料理を誰かに振舞ったとします。普段料理などしないので出来も悪いでしょうし、味も悪いかもしれません。それを生徒に出せば、残す生徒もきっと現れるでしょう。すると、こういった人間は「俺がせっかく作ってやったのに残しやがって!」と激昂する可能性が非常に高いのです。偏見が強いと思うかもしれませんが、他人の料理を「完食しないと失礼」という建前で無理やり人様の子供の口にねじ込むような人間です。基本的に人間として未熟なのです。ある意味では、必要なのは子供への教育ではなく教師への教育の方かもしれません。

「教師=教育のプロ」ではない

給食に限った話ではありませんが、「人にされてイヤなことはしない」という言葉を今一度教師に突きつけたほうがいい気がします。特に無駄に年を重ねた老害教師に対してです。自分の思い通りに動かない者を無理やり従わせることを「教育」だと勘違いしている年配者があまりにも多すぎます。教育において大切なのは「本人に自覚させる」ことであり、その道しるべを用意するのが教師の務めのはずです。また、生徒の手本として在るべきでもあります。

しかし、現実は頭のオカシイ教師が山のようにいます。そんな人間と向き合うためには、逆にこちらが大人になるしかありません。中学生にもなれば、教師よりも生徒の方がよっぽど人間が出来ているなんてよくある話です。すぐに癇癪を起こしたり、都合の悪い指摘をされて逆ギレする教師を目の当たりにした生徒は基本的に「こんな人間にはなりたくない」と思うものです。「反面教師」という言葉はホントに良く出来ています。

しかし、社会における「反面教師」という存在の是非が改めて問われる時代になったのかもしれません。現代社会において、敢えてそんな人間を組織に残しておくメリットは限りなく少なくなっています。現代っ子は論理的な説明がないと納得しないため、かつての理不尽な教師たちの言い分はもはや通用しないでしょう。

まとめ

私自身も給食ハラスメントで苦い思いをしてきたので、教師個人のウサ晴らしとしか思えない諸行がこうして世間の目に晒されるのはとても有意義だと思います。子供の教育よりも先に、まずは教師を教育することが重要なのではないかと思わざるを得ません。

しかし、何でも声を上げればいいというわけでもありません。明らかに度を超えた行為をした教師を糾弾するのはいいですが、単純に気に入らないからといって学校側を訴えるような親はただのモンペです。そうなるとバカ教師以上に厄介な存在でしょう。

やはり、大事なのは「教育とはなんなのか」を今一度見つめなおすことかと思います。「子供のためになる」と思ったことなら何をしてもいいというわけではありません。その独善的な思考が長期的に子供を追い込んでしまうことも十分にあるのです。