無の探求

通称「なす」 無色で無職な無敵なフリーライター。まだ誰にも染められてません。今ならあなた色に染めるチャンス。2017年7月18日ブログ開設。

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【短編小説】女神の釣り糸

 とある休日、彼は近くの川へ釣りに出かけた。

 生い茂る森の中にポツンと佇む小さなオアシス。この空間を支配するのは鳥のさえずりと風に揺れる草木の音のみ。もちろん周りには誰もいない、ここは彼の穴場スポットだ。この自然の声に包まれた空間で過ごすひと時は、都会の喧騒を忘れさせるには正にうってつけである。

 しかし、釣りの方はさっぱりだった。 

「今日は調子悪いし、引き上げて昼寝でもするか。」 

 彼が帰ろうとすると、水面が突然光りだした。まるで内側から太陽が昇ってくるかの如く、水面で激しく乱反射した光は周囲一帯を包み込む。そして水面から顔を覗かせたのは、今まで見たこともないような美女だった。さらさらの金髪ロング、青い瞳、たわわな胸、すらっとした体型、そして目のやり場に困る露出度の高い服。

 しかし、彼の目に真っ先に映るのはそれらの印象深い要素ではなく「爪先」だった。水面から出現した彼女が浮遊している高さは、ちょうど彼の視線の先に爪先が来る位置だったのである。そしてあろうことか、彼女の足は強烈な異臭を放っていた。何物にも形容しがたい、今まで嗅いだことのない正に「異臭」だ。それが悪臭なのかどうかすらわからない。彼の常識ではそれを測れなかった。

「私を呼んだのはお前か?」 

 女神は彼を見つめて言い放つ。 

「え、いや。わ、私は釣りをしていただけですが…。」 

 彼女の足の臭いに動揺していた彼は、少々上ずった声でこう返した。突然「女神っぽい痴女」が現れただけでもあり得ない事象だというのに、なぜか足が臭うという眼前の事実は彼を混乱させるには十分すぎた。 

「まあいいでしょう。それより、願いを一つ叶えましょう。申しなさい。」

彼女は唐突にこう切り出す。

 (どうやら彼女は本当に女神らしい。女神っぽいことを言っているから間違いない。それに浮いてるし。)

 彼は混乱しつつも自分を納得させた。しかし納得できないことがひとつ。足の異臭だ。彼はとりあえず目の前の足をなんとかしようと、咄嗟にこう願った。

「あの、とりあえず水面に足をつけてもらえませんか?」

「??まあいいだろう。これでよいか?」

 女神は不思議そうな顔をしつつもこれに応じた。しかし、予想外の事態になった。彼女の足のにおいに釣られて、大量の魚が群がってきたのだ。そして魚たちは彼女の足をつつきまわす。 

「どうした、願いはないのか?」

 予想外の反応だった。この女神、足を魚につつかれているのに全く動じていない。まさか気付いていないのか、いやそんなはずはない。水面でバシャバシャ音を立てて荒ぶる魚たちが目に入らないはずがない。さすが女神だ。器が違う。しかし、聞かずにはいられなかった。

「あの…足に魚が…。」

 すると女神はこう返した。

「女神だからな、魚も私の魅力には抗えぬのだ。」

 またしても格の違いを見せ付ける女神に圧倒されつつも、あまりにしたり顔な「勘違い女神」を見て彼は同時に笑いをこらえていた。しかし、このシュールな光景をいつまでも眺めているわけにはいかない。そして彼はふと思いついた。「これなら魚がいっぱい釣れる」と。

「しばらくそのままでいてください。」

彼がそう切り出した。

「それが願いか?いいだろう。」

 女神は快く応じた。それと同時に、彼は女神の足めがけて釣り糸を再び垂らし始める。案の定入れ食いであった。先ほどまでのボウズが一転、一気に大漁である。

「いやぁこんなに釣れたの久しぶりですよ。今日はありがとうございました。」

「それはなによりだ。では女神はこれで失礼する。」

 笑顔でお礼を述べる彼に対し、女神は再びしたり顔で水の中へと去っていった。

 (この人自分のこと女神って呼ぶんだ。)

 彼はそう思いながらも、大漁の魚が詰まったクーラーボックスを抱えてその場を後にする。結局あの女神はなんだったのだろうか。家に着いてから、今さらながらそんな疑問が彼の脳裏をよぎる。そして別の問題にも気付いてしまった。勢いだけで釣ってしまったが、こんなに大漁の魚をどうやって処理すればいいのか、と。

 

 翌週、彼は再びあの穴場へと足を運んだ。そしていつものように釣り糸を垂らすと、今度は間髪いれずに女神が飛び出してきた。

「また釣りに来たのか?」

 まるでスタンバってたかのような反応に困惑しながらも、全くブレない彼女の女神っぷりに彼は感心していた。

「ええ、今日もよろしくお願いします。女神さん。」

「ああ、今日もそのままでいればいいのだな?」

 女神がそう答えると、すぐに魚が彼女の足に群がってきた。

(やっぱりまだ臭うんだな…。)

 なぜ彼女の足に魚が群がってくるのか、当の本人は気付いていない。それは女神パワーなどではなく、ただ臭うだけなのだ。彼はその事実に口をつぐみ、ただひたすらに群がる魚を釣り上げ続ける。

 しかし、彼は前回の反省を踏まえて今回はほどほどの収穫に留めた。あの日以来、彼の部屋が魚くさくなってしまったからである。

「今日はそれだけでいいのか?まだたくさんおるが。」

「ええ、前回はちょっと釣り過ぎちゃったので。」

 女神はやや不服そうな顔をしつつも、こう尋ねた。

「今度はいつ来るのだ?」

 彼が「また来週も来る」と返すと、女神は初めて笑顔を見せた。その笑顔はまるで無邪気な子供のようだった。

「じ、じゃあまた今度!」

 思わず照れてしまった彼は、そそくさとその場を後にする。

 

 それからというもの、彼は毎週のように穴場へ通い詰めた。女神もまた毎回スタンバってたかのように登場し、彼に魚を提供し続ける。気付けば彼も魚臭くなっており、もはや女神のことは言えなかった。しかし1ヶ月ほど経ったころ、彼がいつものように穴場へ向かうとそこに女神はいなかった。

 その日も魚はそれなりに釣れたが、彼はどこか満足できなかった。魚のことは最早どうでもよく、女神のことで頭がいっぱいだった。

 その後も彼は毎週あの場所へ通い続けたが、女神は一向に現れない。通いつめたお陰で釣りが上達し、女神なしでも毎回大漁になってしまうのはこの上ない皮肉であった。

 

 そして女神不在から約2か月経った。その日、彼はたまたま平日の仕事が休みだった。今まで土日にしかあの場所へ行っていなかったが、平日ならもしかしたら女神がいるかもしれない。そんな一筋の期待が彼の足をあの場所へと向かわせた。

 期待と不安を抱えつつも穴場へ行くと、そこに女神はいた。しかし、何やら浮かない顔をしている。よく見ると、彼女の足には魚がまったく群がっていなかった。彼はたまらず声をかけた。

「お久しぶりです。」

 声をかけると女神は驚いた顔をして、水の中へ逃げようとした。

「待ってください!」

 彼が柄にもなく大声で叫ぶと、女神の足が止まった。

「どうして逃げるんですか。」

「だって…魚が寄ってこないんです。」

 それは彼も気付いていた。しかし、なぜそれで彼女が逃げようとしたのか彼はわからなかった。

「魚が来ないと、あなたの願いが叶えられません。」

 女神は力なくそう言う。その姿には、最初に会った時の「女神っぽさ」は微塵も感じられなかった。どうやら女神としての自信を失っているらしい。彼は見かねてこう言った。

「別にそんな願いはどうでもいいんです。今日はあなたに会いに来たんです。」

 女神は驚きながらもこう返した。

「願いを叶えられない女神なんて価値がありません。」

「でも僕そんなバカみたいに魚好きじゃないですよ。釣りは好きですけど。」

 彼は真顔でそう返すと、女神は思わず吹き出した。

「やっぱり笑うとかわいいですね。」

 真顔でナチュラルに褒めてきた彼に動揺し、女神は顔を伏せてしまった。

「ところで、逃げなくていいんですか?」

 急に乙女になった女神に対し、彼は思わず意地の悪い質問をしてしまう。すると、女神は本当に水の中に逃げてしまった。

「まさかホントに逃げるとは…。」

 彼が戸惑ったのも束の間、女神はすぐに戻ってきた。手には大漁の魚を抱えている。女神は真っ赤な顔をしながら、それを彼めがけて勢いよく無言でぶつけてきた。

「ちょ、やめろ!」

 最早ただの痴話喧嘩だった。しかし魚のストックを全て消費すると、沈黙が二人を襲う。なんともきまずい空気だった。

「…いつも土日なのに、今日はなんで来たんですか。」

 沈黙に耐え切れず、彼女が切り出した。

「たまたま仕事が休みだったんです。」

「女神さんこそ何をしていたんですか。」

 女神はしばらくの沈黙の後、重たい口を開けた。

「…急に魚が寄ってこなくなったんです。」

「きっと、女神業をサボってると思われて力を剝奪されたんだと思います。」

(女神って仕事だったんだ…。)

 彼はそう思いつつも、彼女に残酷な真実を告げるべきか迷った。しかし、「魚が寄ってきてたのは女神パワーのおかげではなく、あなたの足がくさいからです。」なんてとても言えなかった。

「このままでは私は現世に留まれません。あなたの願いを叶えないと…。」

 女神がそう言うと、彼はすかさずこう答えた。

「なら、女神なんてやめて僕と一緒にいてください。それが僕の願いです。」

 女神はとても驚いていた。

「…それがあなたの願いなんですか?」

 彼が無言で頷くと、彼女は恐る恐る地上に降り立った。

「じゃあ…女神、やめます…。」

 恥じらいを隠し切れない彼女の姿に、彼も思いがけず照れていた。しかし、ふとある事実に気付く。「この姿で女神やめたらただの痴女じゃないか」と。そして、地上に降り立った彼女の足は相変わらず臭っていた。

「とりあえず、服買いに行きましょう。その格好だと色々とマズいです。」

 元女神、もとい痴女を連れて、彼は服屋へと向かった。

「魚を釣ってたら、まさかの女神が釣れましたね。」

「もう女神じゃないです。それに、釣ったのは私のほうです。」

 もう女神でもなんでもない、ただのツンデレだった。素足で店内を歩く痴女と魚くさい男。この異様なカップルに近づこうとする者は誰もおらず、それは二人も気付いていた。

「なんか私たち避けられてませんか?」

「そりゃまあ、ね。」

 周囲が二人を避けていた本当の理由は2人から漂う異臭のせいだったのは言うまでもない。しかし、彼にとってそんなことはもうどうでもよかった。…とはいかなかった。

 彼は真っ先に靴のコーナーへ行き、彼女に靴を買い与えた。

「女神時代は靴なんて履いたことなかったから新鮮ですね。」

(ああ、それで…。)

 彼は察したが、その時の彼女の笑顔は紛れもなく、あの時の笑顔だった。