無の探求

通称「なす」 無色で無職な無敵なフリーライター。まだ誰にも染められてません。今ならあなた色に染めるチャンス。2017年7月18日ブログ開設。

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スマホ世代が老人になった時、「孤独」の概念はどう変わるのか

ここ10数年の技術革新は目覚ましいものがあります。私が小学生だった20年前は携帯もなければPCもない、ゲームはファミリーコンピューターの時代でした。しかし今や幼稚園児ですらスマホを持ち、ゲームから仕事までなんでもできてしまう恐ろしい世の中です。今のお年寄りがこの便利すぎる世の中に適応しきれていないのは明白ですが、現代の若者が年寄りになった時にこの構図はどう変わるのでしょうか。その辺を私なりに予想してみようと思います。

 

SNSでつながる老人たち

現代のスマホ世代のほとんどが何かしらのSNSを利用しています。それは友人とのつながりであったり、業務上必要なものであったりと様々です。そんな彼らが年をとったら一体どうなるでしょうか。おそらく、そのまま何も変わらないでしょう。むしろ、体力の衰えで外出時間も減り、より一層SNSへの依存が強まる可能性もあると思います。

病院の待合所で井戸端会議をしている現代の老人たちに成り代わり、老人たちが自宅でスマホ片手にSNS上で他愛のない会話をしている異様な光景が当たり前になるかもしれません。

完全な「孤独」はほぼいなくなる

現代では親族や友人もなく本当の意味で「孤独死」する老人が後を絶ちません。しかし、スマホ世代はネットを介していくらでも他人とコミュニケーションをとることができます。それは彼らが年をとった未来でも変わることはないでしょう。

つまり、寂しくなったらスマホに手を伸ばせばいいのです。仲のいい友人はいなくとも、他人と繋がれる空間はいくらでもあります。それが例え匿名掲示板や何らかのフォーラムであっても、そこで何か発言すれば何らかの反応が貰えるのです。

例え本質的には孤独であっても、現代のスマホ世代にとって孤独を紛らわす手段は豊富にあります。言い換えれば、どんなに技術が発達しようと現代と未来の老人の違いは「自己発信する術を知っているかどうか」だけなのかもしれません。

友人ではなく「フォロワー」が心の支えに

昔と違い、現代社会の人間関係は幅広く希薄であると言えます。主にSNSやネトゲなどの人間関係がそれにあたり、実際に会ったことがない人同士でのつながりです。リアルでの人間関係が希薄な人ほど、こういったフォロワーに安息を求める傾向が強まります。たまに見かける「フォロワー=戦力」のような拗らせた思想を持つ人種がその成れの果てなのでしょう。そういった思想の持ち主とリアルでお近づきになりたい人などそうそういないため、正に負の連鎖になるのです。

そのまま年をとると、恐らくどんどん思想が凝り固まって抜け出せなくなります。実態のない虚勢に固執する孤独な老人を想像してみてください。直視できないほどに痛々しいはずです。しかしあと3,40年もすれば、そんなSNS中毒の拗らせ老人が現れてくるかもしれないのです。

友人は少ないが「フレンド」は多い

SNS上での付き合いが発展してリアルのフレンドになることも十分にありますが、互いの顔や素性も知らない関係性という距離感の方が気楽だと考える人もそれなりにいます。おそらくこれは常にスマホを携帯せざるを得ない構造となった現代社会における「相互監視社会」の弊害でしょう。

距離感が近づきすぎると、人間関係は非常に疲れます。そういった時ほど「フレンド」という距離感は安心できるのです。そこまで親密ではないからこそ話せる愚痴もありますし、リアルでの付き合いがないおかげで気楽な付き合いができます。

その人間関係に満足してる人は傍目には寂しい人間で間違いありません。しかしそれは生き方の一つなだけで、決して非難されるものでもないのです。現代のスマホ世代は年寄りが思う以上に多様化した人間関係に疲れています。その結果、そう遠くない未来にネットでフレンドに囲まれて健やかな余生を送る老人たちもきっと現れてくるでしょう。その老人たちは現代の老人とは違った意味で「達観した視野」を持っているに違いありません。

まとめ

現代社会は技術的には何不自由なくなりました。しかし、その一方で全てを監視する電子網は息苦しさのある閉塞的な社会でもあります。そんな閉塞的な社会だからこそ、ネット上での他人との緩いつながりは大きな意味を持つのです。SNS依存のスマホ世代が老人になったとき、その手にはやはり今も昔もスマホがあることでしょう。